“みちのくからの新星”第5弾シングル 「もいちど生まれてくる時は」
みやさと奏インタビュー(本人によるボイトレの動画初公開!)
みやさと奏インタビュー(本人によるボイトレの動画初公開!)
2016/06/15
「もいちど生まれてくる時は」は初めてイメージをガラッと変えた曲なんです。
みやさと:2012年にデビューしてから、毎年一年に一作CDをリリースさせていただいているのですが、今年は5年目という節目の年でもあるので新しい「みやさと奏」を出したいということで、歌謡バラードに挑戦させていただきました。
──今までのシングルはすべてマイナー調でしたが、今回初のメジャー調しかもバラードということでイメージチェンジ的な意味合いもあったのでしょうか?
みやさと:そうですね、デビューから今ままでは、見た目のイメージチェンジはいっぱいしてきたんですよ。一番最初は清楚なイメージで出てきたんですけど、二枚目からはカッコいい曲調だったので髪の毛をバッサリとショートカットにしてパンツスタイルにしてとか、色んなことをやってきたんですけど、曲の中でここまでガラッと変わった曲に挑戦させていただくのは初めてですね。今回は曲でガラッとイメージを変えたという感じにはなると思います。
──みやさとさんの作品は、1枚目から続けて日本作曲家協会の会長である叶 弦大氏が作曲されていますが、今回の方向性はみやさとさんサイドからお願いしたのですか?
みやさと:いえ、もう叶先生が「この曲でいくぞ!」っておっしゃられて、もうそのままという感じで。
──今回、曲調が違うということで、発声の方法、歌い方は意識的に変えましたか?
みやさと:演歌を歌う時もポップスを歌う時も、発声は基本的に変わらないんです。あ行から始まってわ行で終わるっていうのが基本で。私自身も中学三年間はずっと発生の基礎練習だけをやってきました。河原に向かってやるっていうのが発声法だったので(笑)。
──カップリング曲「東京迷路」についてですが、我々の世代からすると、懐かしのムード歌謡的な感じもするのですが、歌ってみていかがでしたか?
みやさと:ムード歌謡っていうと、私のイメージではコーラスの人が3〜4人いて。今回の「東京迷路」に関して言ったらムード歌謡っていうよりかは歌謡曲かなって思います。
──子供の頃はこういったジャンルは聴かれていたのですか?
みやさと:当時はJ-POPの歌手になりたかったんです。一番最初は絢香さんを聴いて歌の道を志しました。それで中学一年生の頃に地元の歌謡教室に通い始めたんです。
──その歌謡教室で3年間ひたすら発声練習のみ行なっていたそうですが、中学の段階で “プロの歌手になる” という目標があったからできたんでしょうね。
みやさと:いいえ、そういうわけではないのですが 「歌を歌う上で発声法が身についていない人は歌ってはいけないです!」ってスゴい厳しい先生だったので、言い付け通り3年間はずっと発声練習だけやってました。その後、3年間発声練習を終えた時点で歌謡教室の先生に 「ポップスを歌ってみなさい」 と言われて歌ったんですけど 「あなたはポップスは向いていないです」 と言われたんですね。そして 「歌謡曲・演歌の道に行ったら、もしかしたら夢が叶うかもしれませんよ」と。
──それがJ-POPから演歌・歌謡曲への転機ですか?
みやさと:はい。それで、その時に桂 銀淑さんの「昭和最後の秋のこと」という曲を聴いたんですね。桂さんの歌といえば演歌という括りになると思うんですが、私からするとそれは演歌というよりは歌謡曲に聴こえたんです。なので桂さんの曲を聴いて “演歌・歌謡曲の世界にもこういう方がいらっしゃるんだな” と衝撃を受けて、高校一年生の時に本格的にポップスから演歌の道に進みました。
──叶先生との出会いというのはその頃ですか?
みやさと:高校2年生の時に、東北一の大きな大会なんですけど「みちのく歌謡祭」という大会がありまして。そこで審査員長をしてくださったのが叶先生だったんです。その次に高校3年生の時に全国大会が石川県の金沢市で行なわれて、その大会でも審査員長をしてくださった先生が叶先生でした。それが縁で叶先生の目に留まって今に至るという感じです。
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