35周年を記念したデビューアルバムのリテイク&リミックスアルバム

角松敏生『SEA BREEZE 2016』インタビュー

角松敏生『SEA BREEZE 2016』インタビュー

2016/03/15

 
角松敏生が、デビュー35周年を記念してアルバム『SEA BREEZE 2016』をリリースする。本作はリゾート感溢れるシティポップスの名盤として80年代陸サーファーご用達アイテムだった『SEA BREEZE』のボーカルを新たに録音し、当時の凄腕ミュージシャンのバックトラックをリミックスした作品。さらに、限定盤には世界初となるマスター型レーザーターンテーブルでアナログLPからリマスタリングをしたCDが付属している。ここでは、角松本人に歌唱法の変遷やリミックスの方法、マスター型レーザーターンテーブルの可能性などについて聞いてみた。
取材:斎藤一幸(編集部)

『SEA BREEZE』をやり直せるということは、スゴく刺激的な作業になりましたね。

──まず、デビューアルバム『SEA BREEZE』をリテイク/リミックスしてリリースすることになった経緯について教えて下さい。

角松:今年、デビュー35周年ということで、何かやれないかと色々考えていたんです。たまたま権利関係を調べていたら初期の作品のマスターが使えることがわかりまして、それでソニーに確認をしてもらい、大急ぎで倉庫からアナログマルチテープを持ってきてもらったんですよ。ただアナログテープというのは磁気を糊で固めているんですね。この糊が経年劣化で剥がれてきてしまうので、粉がポロポロ落ちてきて、昔カセットテープが回らなくなったりしたじゃないですか。あれと同じ状態になるわけですよ。なので、これを現在の技術でトースティングと言うんですが、熱処理をして高温で焼くんです。それで一瞬固めたものが一回か二回、回るんですよ。その間にデジタルにA/D変換しました。

──失敗したら二度と使えないのですか?

角松:はい、これは一発勝負です。幸い管理されている状態が良かったので成功しました。以前、別の企画で83年のライブのアナログ音源があったんですけど、それは回りませんでした。多分テープのメーカーにもよると思うんですが、再生は一曲だけしかできませんでした。その轍があったので、どうかなとは思っていたんですが、なんと全曲アーカイブができたと聞かされて。“じゃあこれは面白いことができるんじゃないか”と。で、オケはそのままに、歌を録り直しました。

──以前はセルフカバーのアルバムを出されていますよね。それとの違いは?

角松今から5年ほど前にリメイクアルバム『REBIRTH 1〜re-make best〜』というのを出していまして。その作品は完全に全部録り直しで別解釈のものなんです。今の力量があったら“こんな風にしているだろうな”という作品です。それはそれでファンの間でも評判が良かったですね。その当時のままのオケでアルバムを丸ごと1枚作るというのは、皆さんあんまりやられていないんですよ。ただ、やはり自分がプロのシンガーとして過去の自分を批評した時に、本当は歌い手としてデビューしちゃいけないような人だったんですよ。

──当時聴いていた時はサウンド全体のクオリティが高かったのであまり感じませんでした。

角松おそらく、ソングライターとして声の質とかそういうものに対しては当時のメーカーの人は面白いと言っていたんでしょうけど。僕は歌謡曲のセクションからリリースしたんですよ。そのいわゆるアイドル路線のようなセクションからデビューしたものですから。まぁ僕もよくわかっていなかったし。歌なんか上手くなくてもいっちゃえばいいんじゃんみたいな、割とわかりやすく言えばそんなような雰囲気だったと思います。自分でプロデュースできるようになってから、その当時のことを俯瞰すると、やっぱり “僕の作品だけど僕の作品にできてない” という未練が最初の2枚にはあったんです。なので、これをやり直せるということは、スゴく刺激的な作業になりましたね。

──しかし当時、デビューアルバムであれだけの大物スタジオミュージシャンがバックに付いたということは業界的に “スゴいヤツが出てきた” という感じだったのではないのですか?

角松:違いますよ、当時はお金があったんですよ。歌謡セクションですから、いわゆる西城秀樹さんとか近藤真彦さんとか、そういうところで潤っていましたから。それで、面白そうだからということで。極端な言い方をすれば、やってみようぜみたいな感じですよね。一流のスタジオミュージシャンは歌謡界でも活動していましたから。ですから “ドラムはポンタ(村上秀一)で、後藤次利にアレンジしてもらってさ” みたいなそういう話し合いが僕の知らなかったところでどんどん進行していたんですね。まぁ、とはいえ今となっては良い経験だったと思いますよ。よく分からないなりに様々な知識を吸収できましたしね。

──本作では、ボーカルトラックをリテイクされたわけですが、35年経って当時と現在で発声や歌いまわしなど、ボーカルスタイルで一番変わった部分はどこですか?

角松:単純に体ですよ。2つ目の事務所に移籍して、そこが良かったのはライブをコツコツやってお客さんとの絆を深めていこうという方針だったんです。移籍先の社長はライブに対する思い入れが強い方だったので、たくさんライブをやらせてもらいました。だからそれが僕にとって良かったんです。レコードだけでなく、生の角松敏生のパフォーマンスや人間としてのパイブレーションによって、お客さんが増えていったということが大きいですね。結局、ライブをやり続けていくうちに何かを掴んだんです。

──では、ここから変わったという具体的な意識はなかったのですか?

角松僕が日本レコード大賞アルバム賞を受賞した6枚目のアルバム『TOUCH AND GO』というのがあるのですが、その辺りまではダメでした。ダメというのもおかしいのですが、3枚目以降の作品は僕自身がプロデュースをできることになり、好きなようにやらせてもらっていたんです。そこで、自分の歌に対するコンプレックスを解消するにはどうすれば良いのか考えた時にダブルボイス(同じ人が同じメロディーを重ねて録音し声に厚みを加える)を採用したんです。それで、ようやくレコーディングに関しては自分の中で”嫌さ加減”が軽減したんです。その時代が『TOUCH AND GO』まで続くんです。でも、ライブで歌を歌ったり、自分で歌をディレクションしていくうちに以前の作品よりも納得いくものができはじめたんです。

──それは主にどの部分なのでしょうか?

角松これは主に音程感なんですけど、僕はスゴい音程ノイローゼの部分があって、音程に対して厳しすぎると周りから言われるんですよ。スタジオで自分がディレクションして何度もやり直したりする試行錯誤が自分にとって良い勉強になりました。その次のアルバム『BEFORE THE DAYLIGHTを作る時に、海外の方にプロデュースしてもらうことを考えたんです。それまで全部自分でやってきたんだけれども、“NYやLAの旬なプロデューサーがやったらどうなるだろう?” と。すると、曲に関しては、向こうが “あれやろう、この曲をやろう” って食いついてくれたんです。ただ海外のプロデューサーが手掛ける時は、歌も向こうの意向に沿ってやらなければいけなくて。彼らは日本語がわからないわけじゃないですか。言葉云々ではなく、歌ってそれでOKを出すというだけなので、 “ダブルボイスでやりたい” なんて言えないわけで、覚悟を決めてレコーディングしましたね。
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『SEA BREEZE 2016』

2016年3月16日発売
【初回生産限定盤/CD2枚組】
品番:BVCL-707/8 ¥3,700(税抜)
【通常盤/DISC1のみ】
品番:BVCL-709 ¥2,800(税抜)


DISC1
01. Dancing Shower
02. Elena
03. Summer Babe
04. Surf Break
05. YOKOHAMA Twilight Time
06. City Nights
07. Still I'm In Love With You
08. Wave
Bonus Track
09. Last Summer Station


DISC2
01. Dancing Shower
02. Elena
03. Summer Babe
04. Surf Break
05. YOKOHAMA Twilight Time
06. City Nights
07. Still I'm In Love With You
08. Wave

ライブ情報
「TOSHIKI KADOMATSU
35th Anniversary Live ~逢えて良かった~」

2016年7月2日(土)
横浜アリーナ
開場15:00/開演16:00 座席全席指定
※一般発売日2016年4月10日(日)

角松敏生(カドマツトシキ)

1960年 東京都出身

1981年6月、シングル・アルバム同時リリースでデビュー。以後、彼の生み出す心地よいサウンドは多くの人々の共感を呼び、時代や世代を越えて支持されるシンガーとしての道を歩き始める。また、他アーティストのプロデュースをいち早く手掛け始め、特に1983年リリースの 杏里「悲しみがとまらない」、1988年リリースの 中山美穂 「You're My Only Shinin' Star」はどちらも角松敏生プロデュース作品としてチャート第1位を記録、今だスタンダードとして歌い継がれている。

1993年までコンスタントに新作をリリース、いずれの作品もチャートの上位を占める。年間で最高100本近いコンサート・ツアーを敢行、同時に杏里、中山美穂、らのプロデュース作も上位に送り込んだ角松だったが、当時の音楽シーンへの疑問などに行き詰まった彼は、この年の1月27日、日本武道館でのライヴを最後に自らのアーティスト活動を『凍結』してしまう。しかしこの“凍結期間”は、逆に「プロデュース活動」をさらに多忙にさせるといった結果となり依頼が殺到し、プロデューサーとしての手腕を存分に発揮した。また、1997年にNHK“みんなのうた”としてリリースされたAGHARTA(アガルタ :角松敏生が結成した謎の覆面バンド )のシングル「 ILE AIYE(イレアイエ)~WAになっておどろう」は社会現象ともいえる反響を集め大ヒット。1998年2月の<1998 長野冬季オリンピック>閉会式では自らAGHARTA のメインヴォーカルとしてその大舞台に立ち、今や国民的唱歌「WAになっておどろう」が披露され、この映像は全世界に向けて映し出された。

『凍結』から約5年、角松敏生は遂に自身の活動を『解凍』することを宣言。1998年5月18日、活動を休止した同じ日本武道館のステージに再びその姿を現した。その「He is Back」コンサートのチケットは発売直後にソールド・アウトとなる。翌年リリースしたアルバム『TIME TUNNEL』はチャート初登場第3位を記録し、変わらぬ支持の大きさを実証してみせた。

その後2作連続TOP10入りを果たしたシングル「君のためにできること」、「Startin‘/月のように星のように」、沖縄・アイヌと音楽の旅を続けた『INCARNATIO』、再びスティーヴ・ガッドを起用した角松サウンドの集大成アルバム『Prayer』、大人の遊び心に溢れた『Summer 4 Rhythm』『Citylights Dandy』など、作品ごとに新しいコンセプトで挑むアルバムやライヴDVDなど、コンスタントにリリースを重ねている。またリリースに平行して、20周年、25周年、30周年のアリーナクラスの記念ライヴや全都道府県ツアー、大型ホールからライヴハウスまで、様々な形態で精力的にコンサートを行い、 2012年春、30周年を記念したリメイク・ベストアルバム「REBIRTH 1」をリリース。 2014年3月角松の幅広い音楽性が1曲に組み込まれた「プログレッシブ・ポップ」アルバム「THE MOMENT」が話題となった。
その妥協を許さないスタンスとクオリティで常に音楽シーンの最前線で活動をしている。

また2002年と2005年には映画音楽を手がけ、また自身が役者として芝居の殿堂でもある下北沢・本多劇場のステージに主役として立つとともに音楽、映像監督を同時に務めるなど、新たなチャレンジも行なっている。

2016年デビュー35周年を迎える中、制作、ライブとますます精力的に活動を続けている。

 

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