いよいよ来月ジャパン・ツアーが開始

カルロス・サンタナにロング・インタビューを敢行!

カルロス・サンタナにロング・インタビューを敢行!

2017/03/15


来月4月22日の盛岡市民文化ホールを皮切りに、大阪、名古屋、東京とジャパン・ツアーのために来日するカルロス・サンタナ。来日予定メンバー(シンディ・ブラックマン・サンタナ=Ds 、ベニー・リートヴェルド=B、カール・ペラーソ=Timbales、アンディー・バーガス=Vo、トミー・アンソニー=G、デイヴ・マシューズ=Key、パオリ・メヒアス=Congas、レイ・グリーン=Vo)も発表され、心待ちにしているファンも多いのでは!? 今回、TuneGateではそんなカルロス・サンタナのインタビューを入手。いまだにファンを魅了し続けるサンタナの本音をぜひともチェックして頂きたい。

 


——昨年『サンタナⅣ』がリリース、黄金期メンバーが再集結するというニュースは日本でも話題になりました。このメンバーをまた集めようと思ったきっかけは何でしょうか?

サンタナ:ありがたい話なのだが、『サンタナIV』はジャーニーのギタリスト、ニール・ショーンのヴィジョンがきっかけでスタートしたんだ。ニールは僕をずっと追っかけて、熱心に何か一緒にやろうと言い続けてくれたんだ。僕としてはとても嬉しい、ありがたい話だった。最初、ニールが考えていたのは、僕とニールと他のギタリストで何かをやることだったんだが、僕はそれは嫌だった。そうではなくて、オリジナル・バンドで何かをやってはどうだろう?と持ちかけたんだ。そこで当時のバンド全員に声をかけてみることにした。もしかしたら今こそ、何かを再びクリエイトするのにいい時期なのかもしれない。そこでグレッグ・ローリー、マイケル・シュリーブ、マイケル・キャラベロに電話を入れた。そして僕らが70、71年にやっていたことを再現するのに今がいい時期だということになったんだ。そこにケミストリーがあり、すぐに昔どおりのサウンドが出来上がったのは、本当にありがたかった。でもきっかけが何だったのかと言われれば、それはニール・ショーンだったんだ。

——久しぶりに一緒に演奏した時の率直な感想を教えてください。

サンタナ:とても美しい、暖かい気持ちだった。信頼関係だ。目を閉じれば、彼らは僕の一部で、僕も彼らの一部だと感じられた。それは永遠に変わるものではない。一つになる”共生”という精神。サウンドはすぐに出来上がった。それは僕らを精神、魂、そして心で繋ぐケミストリーがあるからだ。素晴らしい気分だったし、満足感が得られたよ。

——『サンタナ Ⅳ』のツアーが比較的短期間で終了してしまったように思えます。もっと観たかったファンは多かったのではないでしょうか?

サンタナ:僕もファンと同じ気持ちだよ。しかしそれぞれに別の時間があるんだ。ニールはジャーニー、グレッグはビートルズのリンゴのバンド、そしてサンタナはSuper Natural Santana Band としてツアーをしているからね。あとは、全員が揃って腰を据え、ピンポイントで割り与えられた時期にツアーを行えばいい。そしてそのあとは『サンタナV』の準備にとりかかるんだ。

——これまでラスベガスで定期的に数多くショーを行っていますね。ラスベガスと他の会場で行うコンサートとでは何か気持ちの変化などはありますか?

サンタナ:ラスベガスには他よりくつろいだ雰囲気がある。でも気を抜くわけじゃないよ。どんな時も僕らのショウには興奮、熱狂、パッションがある。でも飛行機で移動したり、ホテルを変えたりすることなく、一箇所に留まっていられるラスベガスでは、音楽的に違うことを試す時間も生まれる。ラスベガスの良さは、例えば2週間で8回のコンサートを行なう中で、セットリストにはとらわれず、常に新しい音楽を作れることだ。そうすることができるだけの時間があるからだ。人生で1回しか演奏しない曲もあったりするんだ。ラスベガスはまさに研究所のように、いろんなことを試す場だ。その研究所ではマーヴィン・ゲイ、マイルス・デイヴィス、ジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン・・・いろんなバンドの要素を持ってきて試す。日本の音楽、メキシカン、アイリッシュ、ケルティック・・・でもどんな時もベースの基盤になるのはアフリカの音楽、アフリカのリズムだ。新しい冒険に出て、それを発展させる時間がある、という意味でラスベガスは楽しいよ。

——少し前の話になりますが、2014年ブラジル・ワールド・カップ閉会式でのパフォーマンスは全世界の人がテレビの前で釘付けだったと思います。あの特別な舞台はいかがでしたか?

サンタナ:ああ、ワールド・カップにはどこか宇宙的なところがある。ここアメリカには野球、バスケ、アメフトなどのスポーツがあるが、世界標準ではサッカーなんだ。本当の意味でのフットボールだよ。アメリカン・フットボールではない、ワールド・フットボールだ。会場となった、エスタジオ・ド・マラカナンでやるのは2回目か3回目だった。最初にやったのは91年のロック・イン・リオの時だったと思う。でもワールド・カップでプレイするのは、すぐそこにペレの姿が見えたりして、特別なものだ。マラカナンという世界のステージに立つと、自分がその中心にいる気がしてくる。なぜならそれだけ多くの国がサッカーを称えているんだ。バスケや野球や何よりも。マラカナンに立つのは2年前から僕の夢だったんだ。アルバム『コラソン』を作った時、いろんなアイディアを立てた。シンデレラ、もしくはシンデフェラ(訳注:シンデレラとfellaやつ、をかけあわせた造語)にぴったりのガラスの靴を作ろうと。

つまり、先に曲を作り、そのあとで「これを歌うのは男性シンガー?それとも女性シンガー?」と考える、ということだよ。僕らはいつもそうなんだ。「Supernatural」の時もそう。そうやってヴィジョンを作り、最終的にすごくいいものができたんだが、ここで一旦やめようと僕は言った。やめて、W杯までつなげようと提案したんだ。周りからは「W杯?何を変なことを言っているんだ?」と言われたけどね。そこで描いていたヴィジョンを少しだけ変えてみたんだ。そうしたら(偶然にも)あるブラジル人とワイクリフが(W杯用の)曲を書き、ギタリストが必要だということで僕がやることになった。でも僕の頭と心の中では、その2年前からマラカナンのW杯で何かをやりたいという思いは生まれていたんだよ。つまり何が言いたいかというと、人間は男も女も誰もが、宇宙に何かを送り出す潜在的な可能性を持っている。そうすることでその見返りに夢やこころざしを手にすることができるんだ。(W杯で演奏できたことは)実に有意義な体験だったよ。妻のシンディが僕の隣でドラムを叩いてくれたから、特にね。

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