‟アジアの賛美歌”と称された伸びやかな高音を持つシンガー
伊東真紀『Voyage』インタビュー
伊東真紀『Voyage』インタビュー
2017/03/10
伊東:6、7年前からですね。曲作りに関しては、自分の思いを素直に出していきたいというのと同時にジャズのカッコ良さにも憧れていて。かといってどジャズシンガーのような感覚で歌えるかというと、歌えないと思うんです。
──そうなのですか? ジャズのカバー曲も見事に歌い上げてらっしゃるじゃないですか。
伊東:全然です。ブルースを染み込むように歌い上げる、例えばエラ・フィッツジェラルドみたいに低い声でというのは難しいかもしれないですね。だけど、自分の解釈でジャズのカッコ良さを伝えていくっていうことはしていきたいです。
──そもそも、伊東さんが歌自体を歌い始めたのは?
伊東:2001年ぐらいからです。DJ Hideo Kobayashiさんというテクノ・ハウス界では大御所の方に「new globe」という曲をプロデュースしていただきました。この曲をドイツの音楽サイト「Besonic.com」にアップロードしたら、 “これは本当にアジアの讃美歌だ!” って言ってもらえて。結果、リリースの話をいただけたんです。
──その曲の歌詞は日本語だったのですか?
伊東:日本語です。ハウスの曲だと英語だったり日本語を混ぜていたんですが、その時「言葉って関係ないんだな」って思ったんです。もちろん、ニューヨークなどでちゃんとリリースするには英語が必要なんですけど、皆さんに伝えるのは言葉だけじゃないんだよなっていうのを初めてわかりましたね。
──サイトでは3か月連続1位にランクインされたそうですね。
伊東:ドイツって当時からテクノやハウスが盛んだったんです。そういった中でこの楽曲を「シンセ・ポップ」とカテゴライズしてくれたおかげで、フランスやベルギーでもリリースすることができました。
──続いて、アメリカでのリリースはどのような経緯で?
伊東:当時はサンフランシスコで暮らしていたんですが、Haight Street(ヘイトストリート)にAmoeba Music(アモエバミュージック)など、たくさんのCDショップやインディーズレーベルがあったんですよ。ただ、私があまりにもレコード会社を知らなさ過ぎて、そういったレーベルがショップも併設しているって知らなかったんですね。それであるショップに入って、リリースのオファーをいただいた海外のレコード会社について「実はこういうところからレコード出さないって言われてるんだけど、あまりにも信じられないからレコード会社があるかどうか調べて下てもらえないですか?」って聞いてみたんですよ。そしたら「そのレコード会社はあるけど、ちょっとデモテープ聴かせてくれない?」って言われて。で、聴かせてみたらその場で「うちで出そう」と。すぐリリースが決まったんです。アメリカっぽいのですが、すぐにお金が支払われてって感じで、そのスピードに驚かされました。
──すごいラッキーだったんですね。伊東さんは当時、サンフランシスコ音楽院に通われていたそうですが、作曲の勉強に?
伊東:いえ、ぜんぜん。当時は歌い手としての最低限のマナーもできていないという状況で、曲作りとかはとてもじゃないけどまだまだでしたね。まず呼吸法、発声、そして音程の取り方とかから始めました。サンフランシスコ音楽院は、カリフォルニアでは一番古いクラシック系の音大だったんですね。当時は知らなかったんですけど。で、実際行ってみたら日本人が一人もいないんですよ。
──アジア系も?
伊東:私の周りには全然いなかったです。みんなニューヨークとかヨーロッパとかきっと行っちゃうんですよね。サンフランシスコ音楽院に通われてる生徒さんや先生はほんとに優秀な方たちばかりで大変でしたね。例えば、レッスン初日にイタリア語の曲を先生は用意していて、私はイタリア語の前に英語がそんなにしゃべれませんみたいな状態でしたので、まずは優しめのマザーグースの曲から始めたりしました。いろいろと大変でしたけど東京で高いレッスン料払うことを考えらアメリカは経済的ですよね。
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