日本のR&Bシーンを牽引し続けるシンガーJAY’ED。LDH移籍後初となるアルバムをリリース!
JAY’ED『Here I Stand』インタビュー
JAY’ED『Here I Stand』インタビュー
2017/06/15
JAY’ED:曲によって全然違うのですが、もともと歌詞を書き始めた時は全部英語だったんです。そこから日本語を増やしていくような形で。で、最近というか普段は目に付いたことや思いついた言葉を携帯やノートにメモするようにしていますね。そして、いざ作詞をする段階で、例えば “恋愛の曲にしよう” ってなったら、そういう内容にふさわしいものを当てはめたり。ヒップホップ的な曲の場合は、韻を踏んでそのイメージで言葉を選んでいくこともあります。
──では、曲はどのような感じで作っていくのですか?
JAY’ED:オリジナル曲を作るような時は、基本的に僕はメロディーメイクだけを担当しています。僕が作ったメロディーを、Jeff Miyaharaさんのような方に形にしてもらっている感じですね。もう本当にフリースタイルな感じですよ。
──JAY’EDさんの場合、歌詞に日本語と英語の両方が出てくることもありますよね。メロディーとの兼ね合いで心掛けていることは?
JAY’ED:そうですね。ノリ重視でいくならば英語の方がスムーズにいくことの方が多いと思います。でも、スムーズに行き過ぎると言葉が残らない。なので、日本語をどれだけ英語っぽく聴かせられるか、そして、日本語でちゃんと伝えるべきところは伝えるということを意識しています。もちろん、曲によってどちらかに振り切ることもありますけど。
──もともと、JAY’EDさんはどのような音楽を聴いて育ったのですか?
JAY’ED:ニュージーランドにいた時は、家でずっとMTVとかを観ていました。お母さんがすごく音楽が好きな人だったし、物心ついた時から音楽に触れる頻度は高かったと思います。でも、その当時は歌うっていう気は全くなくて。
──日本に来てから変わったんですね。
JAY’ED:はい。10歳の時に日本に来て、J-POPを聴くようになって。で、高3の夏にK-CI & JOJO(ケー・シー&ジョジョ)というR&Bのシンガーのコンサートに友達が誘ってくれて。それからですね。当時の僕は、これといってやりたいこともなくて “JAY’EDといえば、こういう人だよね” っていうアイデンティティーもなくて。とても人の意見に流されやすい人間だったんですよ。だから、自分っていうのはこういう人なんだって見つけたかった時期でもあったのかな。で、彼らのライブを観て、何の根拠もないんですけど、俺もこれをやってみようかなって思ったんです。それで、やっていくうちにちょっと譲れないものに変わっていったんです。
──音楽を通じて、精神的にも変化が生まれてきたわけですね。
JAY’ED:そこが大きいかもしれないです。音楽を通じて、自分の意見も持てるようになったし。
──なるほど。では、アルバムの話に戻りますが、今作では様々なアーティストとコラボしていますよね。思い出に残っているエピソードなどはありますか?
JAY’ED:そうですね。まずは、DOBERMAN INFINITYですかね。今は同じLDH所属になりましたけど、もともとは大阪のクラブで一緒に活動していたこともあって。僕が19歳、彼らも20歳くらいで、とにかく音楽の作り方を始め、色々なことを教えてくれたのが彼らだったんです。で、同じクルーでやっていたこともあったし、ちょうど10年くらい前に上京してきたタイミングも同じで。実は、山手線の中で「大阪でやった方がいいか、東京でやった方がいいか。どっちがいいっすかね?」って、彼らに相談したこともあるんです。当時は、大阪になかったR&Bという文化を少しは開拓したという自負もあったし。大阪の方が安定はしていたんですよ。でも、その相談した時に「東京に出てきた方がいいよ」って言われて。それで僕も上京することを決めたんです。その後、彼らはLDHに入って、僕はソロで活動していくことになるんですけど。そこから10年ぐらいの月日が流れて、またここで一緒にレコーディングすることになって。なんか、とにかく懐かしい部分もあるし、僕を再び歓迎してくれたこともありがたいなと思いましたね。
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