30周年記念 ソロピアノコンサート2017年7月27日(木)開催/会場:ヤマハホール

松居慶子『Journey To The Heart』インタビュー(30th Anniversary “KEIKO MATSUI SOLO PIANO” 開催決定!)

松居慶子『Journey To The Heart』インタビュー(30th Anniversary “KEIKO MATSUI SOLO PIANO” 開催決定!)

松居慶子『Journey To The Heart』インタビュー(30th Anniversary “KEIKO MATSUI SOLO PIANO” 開催決定!)

2017/07/05


すでにご存知の方も多いと思うが、全米デビュー30周年を迎えた松居慶子のアルバム『Journey To The Heart』が全米ビルボードのコンテンポラリージャズ・チャートで初登場1位を獲得した(2001年に発表したアルバム『DEEP BLUE』以来2度目。2度目は日本人初の快挙)。ここでは、今やアメリカで最も成功した日本人ミュージシャンと言っても過言ではない彼女を迎え、アルバムにかけた想いや7月に予定されているピアノソロコンサートへの意気込みを聞いた。

取材:斎藤一幸(編集部)

──昨年リリースされた「Journey To The Heart」は、全米デビュー30周年そして新たなプロジェクト(アコースティック・バンド)の第1作目だったわけですが、節目としてテーマみたいなものはあったのでしょうか。

松居:そうですね。このアルバムの前に「LIVE IN TOKYO」というEXシアター六本木で録ったライブDVD/CDをリリースしたのですが、そのショーを終えた時に、もうこの時代は完結したと自分では思ったんですね。アルバム作りに関してはそれぞれ違う作り方をしていますけれども、コンサートツアーに関しては色々な国でずっとドラム/ギター/ベース/サクソフォンと私(ピアノ/キーボード)というスタイルで演奏してきて。そのスタイルがもう完結したかなと。それで何か違うものを始めたいと思ったときに、もっとオーガニックなアコースティックな方に行きたいなとなったんです。プログラミングも無いし、シンセサイザーも無いっていうところに。

──何かきっかけがあったのですか?

松居:その頃丁度、長年の友人で連弾プロジェクトのパートナーでもあるボブ・ジェームスがブルーノートで公演してまして、そこにカリトス・デル・プエルトというキューバ出身のベーシストが出演していたんですね。その時、彼のアコースティック・ベースを聴いて、すぐに「いい音してるな、メンバーに迎えたいな」と思ったんです。同じくキューバ出身のドラマー、ジミー・ブランリーもメンバーに加え、レコーディングにはペルー出身のギタリスト・ラテンの第一人者ラモーン、ベネズエラ出身のパーカッショニスト、ルイスも迎えました。彼もカリトスもチック・コリアの世界ツアーにも参加しています。そういったメンバーで、手作りというか、アコースティック楽器を生かした、そしてピアノを生かした美しい世界を創りたいという思いで出来たアルバムがこの「Journey To The Heart」なんです。

──YouTubeで、レコーディング風景のPVを拝見しましたが、ほとんど一発録りだったのでしょうか。

 
松居:そうなんですが、スタジオに入る前にアレンジしていく過程で、ジミー、カリトスと3人でリハーサルをしました。練習し過ぎないようにしつつ本番のハプニングが入れられるような土台となる譜面を作っておいて、3日間、5人でハリウッドのユナイテッドレコーディングスタジオに集まって仕上げました。

──PVを拝見していたら、松居さんがリアルタイムで譜面を書き換えていらっしゃったので、曲作りも同時進行で5人で?と思ったのですが。

松居:いえいえ、あれは構成を「ここはカットしてリピートはここね。」みたいなシーンですね。曲作りに関しては、過去のアルバムもそうなんですけど聴いてくださる方の心に届く、心に残る強いメロディーを書きたいと思ってまして。それはずっと変わらないです。

──曲はいつ頃書かれたのですか。

松居:LAの南にカタリナ島という私の大好きな島があるんです。そこで行われるフェスティバルで使用していたピアノを、私の作曲のために使っていいと言ってくださる方がいらっしゃったので、去年の1月にカタリナ島に1週間滞在して書き始めました。書くというよりも聴こえてくるものを書き留めるんですね。モチーフとかテーマ、ある時はメロディー全部、ある時はイントロだけとか・・・そういう感じで聴こえてきた素材を100くらい集めて、そこからベスト10を絞っていく作業を毎アルバム繰り返しています。

──曲作りに関しては譜面を使うのですか。

松居:まずは聴こえてきたものを集めるので、iPhoneだったり、小さなボイスレコーダーに録音して。またある時はそのまま譜面に書いてと、めちゃアナログです(笑)。

──それを最終的に1曲にするのはピアノを弾きながらですか。

松居:最終的に仕上げていく段階ではピアノを弾きますけれど、作曲の段階ではピアノを弾かないようにしています。というのも、弾いているとムードとか手癖で流されるじゃないですか。そうじゃなくて、基本になるメロディーを良いものにするために、あえて弾かないようにするんです。メロディーだけで、“これはいけるぞ”っていうのが来るまでひたすら待つ感じで。
 
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松居慶子
『Journey To The Heart』

発売中

初回限定スリーブ仕様
海外撮り下ろしフォトブックレット付き
AVCD-93498
¥3,456(税込)

通常盤(CD ONLY)
AVCD-93498
¥3,200+税

【CD収録内容】

01 Moving On  
02 Carnival  
03 The Edge of Twilight  
04 Butterfly  
05 Casablanca  
06 Journey To The Heart  
07 Havana Nights  
08 New Beginning  
09 Two Harbors  
10 Blue Rose  
11 Wings to Tokyo
(日本盤限定ボーナストラック)  
全11曲収録

ツアー情報
松居慶子
30th Anniversary“KEIKO MATSUI SOLO PIANO”


実施概要
【日 時】2017年7月27日(木)
開場 18:00/開演 18:30
【会 場】ヤマハホール
【料 金】6,500円(税込)
全席指定 ※3歳以上チケット必要
【主催制作】リードイン
【運 営】キャピタルヴィレッジ
【お問合せ】キャピタルヴィレッジ
Tel.03-3478-9999
【一般発売】2017年5月20日(土)
チケットぴあ
(Pコード:330-524)
Tel.0570-02-9999
ローソンチケット
(Lコード:74498)
Tel.0570-084-003
イープラス
http://eplus.jp
CNプレイガイド
Tel.0570-08-9999
カンフェティ
Tel.0120-240-540
キャピタルヴィレッジ

松居慶子(まついけいこ)
東京生まれ。5歳からクラシックピアノを始め、高校在学中に映画音楽の作曲など音楽活動も始める。18歳でヤマハと契約。その後独立して渡米。1987年に発表した自主制作アルバム「水滴」が「ロサンゼルス・タイムズ」や音楽専門誌で絶賛され、アメリカのFM局の「スムースジャズ」フォーマットで中心的存在となる。以来、南カリフォルニアを本拠地にライブ活動を続ける傍ら、ライオネル・ハンプトン、フレーディー・ハバード、ジミー・スミス、マイルス・デイビスらのコンサートにスペシャルゲストとして出演する。全米主要都市のほか、ワールドツアーも開始。フィンランド、モロッコ、アラブ首長国連邦、トルコ、南アフリカ、シンガポール、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ウクライナ、エストニア、ロシアなど、世界各地で演奏している。

1991年
ジェームス・イングラム、パティ・オースティンらと共に全米ツアーを行う。

1992年
チャカ・カーン、フィリップ・ベイリーらと共に、再び全米オールスター・ジャズツアー。全米テレビネットワークの人気番組「トゥナイトショー」、CNN「ショウビズ・トゥデイ」に出演、全米での人気が定着する。同年メキシコで開催されたミス・ユニバース世界大会の審査員に選ばれ、その模様が全世界に放送される。

1996年
「ソウルトレイン・ミュージック・アワード」ジャズ部門に、パット・メセニー、フォープレイらと共に日本人として初めてノミネートされる。全米大手服飾メーカー「GAP」のモデルとして選ばれ、写真家ハーブ・リッツが撮影し話題となる。また、この年発表のアルバム「ドリーム・ウォーク」は、全米ビルボード誌(コンテンポラリー・ジャズ・チャート)でケニー・G、グローバー・ワシントン・ジュニアに次ぎ第3位にランクイン、全米FMラジオのチャートではアルバム、シングルとも1位を獲得。

1997年
ディヲンヌ・ワーウィック、バート・バカラックと共に、次の世代にいい影響を与える活動を讃えられ、エッセンスアワードを受賞。
 
1998年
アルバム「フルムーン・アンド・ザ・シュライン」が、発売翌週にビルボード2位にランクインし、1年間にわたりチャートインする。米国では「ドリーム・ウォーク」と合計し70万枚以上のCDを売り上げた。
 
2001年
アルバム「ディープ・ブルー」が全米ビルボード誌コンテンポラリー・ジャズ部門において日本人初の第1位を獲得。ジャズ・フュージョン界の大御所、ボブ・ジェームスと共に「4 hand piano」ワールドツアーを行う。7月~9月の全米コンサート・ツアーでは、「全米骨髄ドナープログラム(NMDP)」の活動もサポートし、自らもドナー登録を行いながら、各会場でドナーの登録を呼びかけるなど、スポークスマンとして活躍する。これらの活動がNDMPに評価され、同年の「グラント・ハートレイ賞」(骨髄移植の必要性を広く知らせるために傑出した活動をした人物に贈られる賞) を受賞する。また、ロサンゼルスで行われたニューヨークのテロ被害の救済と平和を願うためのチャリティ・コンサート「A Wave of Peace」に日本人として唯一招聘され、スティービー・ワンダーやケニー・Gらとともに出演、「Deep Blue」の演奏に3度のスタンディング・オベイションが送られ、喝采を浴びる。

2002年
2月、小泉純一郎総理大臣の推薦を受け、首相官邸でのブッシュ米大統領の歓迎レセプションに出席する。

2003年
南アフリカの巨匠、ヒュー・マセケラをスペシャル・ゲストに迎えた全国ツアーを開催。同年にアルバム「Wildflower」をリリースし、タイトル曲「Wildflower」が国連世界食糧計画(WFP)のアフリカ飢餓撲滅活動の支援曲となる。アルバムの印税の一部はアフリカの飢餓撲滅活動のために寄付され、世界各地で行われるコンサート会場でも支援を呼びかけた。

2004年
日米和親条約調印から150周年を記念して、日米交流に貢献した1人として宇宙飛行士の毛利衛氏、日本人初のメジャーリーグ選手の村上雅則氏らと共に外務大臣表彰を受ける。
 
2006年
9月、ニューヨークで開催された「全米骨髄ドナープログラム(NMDP)」チャリティーイベントで演奏。

2007年
ウクライナ、ロシアなど10都市での東ヨーロッパツアー。スコットランド・グラスゴーでのワールドアセンブリーでも演奏。アルバム「MOYO」全米発売と共に、広域にわたる長期アメリカツアー始める。南アフリカと日本での「MOYO」発売と共に、アルバムに参加している南アフリカのスペシャルメンバーと、東京国際フォーラムAで行われた東京JAZZに出演。その他、大阪・名古屋でも公演。
 
2008年
ワールドツアーを再開し、再びウクライナを訪れ、5都市でソールドアウト。中でもウクライナで最大のコンサートホール〈パレス・オブ・ウクレイン〉でのフルオーケストラとのソールドアウト公演の成功は、さらなる話題を呼んだ。4月モスクワのクレムリンで演奏。12月には、全米19都市でクリスマスツアーを行う。

2009年
1月、全米ツアー開始。2月、ボブ・ジェームズとの連弾コンサート。3月、東ヨーロッパツアー。キエフでは、オーケストラとも
共演。同月、米ワシントンDC憲法記念会館で米空軍オーケストラと共演。5月、初のメキシコ公演。ワールドツアー(米国、ウクライナ、メキシコ)

2010年
全米ツアー・東ヨーロッパツアー
 
2011年
2月、全米ツアー再開。3月、東日本大震災復興支援アルバム「JAZZ FOR JAPAN」に日本人として唯一参加。5月、ニューヨークのセントラルパークで開催された「JAPAN DAY 頑張れ日本」、ロサンゼルスでのチャリティーイベントなどに参加。8月、アラスカクルーズ。10月、東ヨーロッパツアー。

2012年
全米ツアー。ロシア・ピアノソロツアー。

2013年
東ヨーロッパツアー。「Soul Quest」全米ツアー。

2016年
アルバム『Journey To The Heart』が全米ビルボードのコンテンポラリージャズ・チャートで初登場1位獲得。

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