苦節10数年で掴んだメジャーデビュー!
佐藤広大「スノーグローブ」インタビュー
(親友EXLILE SHOKICHIとの秘話も公開!)
佐藤広大「スノーグローブ」インタビュー(親友EXLILE SHOKICHIとの秘話も公開!)
2017/02/08
札幌在住のシンガーソングライター佐藤広大が、シングル「スノーグローブ」でメジャーデビューする(2月8日発売)。本作には冬のラブソングとなる表題曲とともに、大学時代からの親友であるEXILE SHOKICHI作詞による「Diamond Dust feat. EXILE SHOKICHI」がカップリングに収録され、早くも話題を呼んでいる。ここでは、佐藤がミュージシャンの道へ進むきっかけとなった亡き親友とのエピソードを交え、デビューまでの道のりを振り返ってもらった。注目のニューカマーの実像に迫った必見のインタビューだ!
取材:黒田隆憲
──北海道の札幌出身だそうですが、どんな子供時代を過ごしましたか?
佐藤:札幌といっても、割と端っこの方だったので山に囲まれた環境でした。サッカーなど外で遊ぶのが大好きな、活発な性格の子供でしたね。ただ、目立つのはあまり好きじゃなくて。学習発表会などでも、黒子を率先してやっていました(笑)。
──そんな佐藤さんが、人前で歌うようになったのは何故ですか?
佐藤:中学生の時に、初めて友だち同士でカラオケに行ったんですけど、そこで歌った瞬間に空気がガラッと変わったのを今でも覚えているんですよね。すごく褒めてもらって、自分にもこんな長所があったのかとビックリしました。自分が歌うことで、人が喜んでくれるというのが単純に嬉しくて、そこから歌うことが好きになっていったのだと思います。
──音楽自体はその前から好きでした?
佐藤:聴くのは好きでした。父親の部屋にこっそり入って、勝手にレコード棚を漁ったりして。ビートルズやカーペンターズ、エルトン・ジョンなど、王道の洋楽を聴くことが多かったですね。高校に入ると、自分から率先してカラオケに行くようになり、乗り気じゃない友達だろうが何だろが、半ば強制的にカラオケ屋へ連れて行って、ずっと歌いまくっていました。一人で入るより、大勢で行った方が、カラオケ代が安くなるんですよ(笑)。
──そこで鍛えられた部分は大きい?
佐藤:大きいと思います。当時、付き合ってくれた友達には本当に感謝ですね。
──音楽の道に進もうと思ったのは、不慮の事故で亡くなってしまった親友の影響が大きかったそうですね。
佐藤:はい。幼稚園から連れ添った親友だったんですけど、気づけばいつもそばにいて、どんなことでも話し合える仲だったんです。サッカーも一緒にやっていたし、好きな女の子も一緒だったし(笑)、初めてカラオケに行った時も一緒だったんですよね。それからずっと、「お前は歌手になった方がいい」って、亡くなる直前まで僕に言い続けていたんです。
──そうだったんですね。
佐藤:17歳でまさか親友を失うとは思っていなかったので、しばらくの間ものすごく落ち込んだんですけど、「今後、俺はどう生きていけばいいのだろう」って、子供ながらに割と真剣に考えて。「彼のぶんまで生きなきゃいけないな」って思うようになっていったんです。そして、彼がずっと僕に言い続けてきた言葉の意味を確かめるために、プロのミュージシャンとなる道を進むことにしました。
──ブラックミュージックへと傾倒したのはなぜ?
佐藤:それも親友の影響ですね。二人同時にR&Bやヒップホップが好きになって、「どっちの方がイケてる音楽をたくさん知っているか」を競い合っていました。そういう意味でも、ものすごくたくさんの刺激をもらいましたね。
──EXILEのSHOKICHIさんと出会ったのは?
佐藤:大学に入学して、最初に出会ったのがSHOKICHIでした。入学した大学を強く勧めてくれたのが亡くなった親友だったので、親友が親友を引き合わせてくれたような、何だか不思議な気持ちがしましたね。「SHOKICHIは歌が上手い」という噂はすでに聞いていたので、後日カラオケに誘ったんですよ。そこで初めて声を合わせてみて、「一緒に音楽をやろう」と僕の方から口説きました。
──それがボーカルユニット「JACKPOT」ですね。
佐藤:はい。大好きなFull Of Harmonyさんの曲名から、リスペクトを込めて名前をいただきました。それで札幌のクラブを回って。オリジナル曲もロクになかったんですけど、レコードショップでかっこいいインスト曲を漁っては、それにオリジナルの歌詞とメロディを乗せて作っていました。でも、当時はお客さんも一人とか二人とか。完全にアンダーグラウンドな状態だったので、悶々とする日々もありましたね。
──その頃は、どんな音楽を聴いていましたか?
佐藤:スティーヴィー・ワンダーやダニー・ハサウェイのような70年代ソウルシンガーから、2パックやブラックストリートのような90年代R&B、ヒップホップ、他にもボーイズ・トゥ・メンののような、ボーカルグループへの憧れも強かったです。2パックがサンプリングに使用している元ネタとかを漁っていくうちに、ボビー・コールドウェルのようなAORも聴くようになりました。
──基本的にはSHOKICHIさんと二人で活動していたのですか?
佐藤:1年半くらい2人でやって、そのあとはボーカル・グループを作りたくて、人数を2人増やして「Symphony」という4人組のグループで活動していました。その頃から様々なイベントに呼ばれるようになりましたね。地元のWILD STYLEという、ラッパーやダンサー、DJ、シンガーが集うクルーに加入したんです。そこにはDOBERMAN INFINITYのSWAYもいました。そこにいた時期は、学ぶことが多かったですね。
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