35周年を記念したデビューアルバムのリテイク&リミックスアルバム

角松敏生『SEA BREEZE 2016』インタビュー

角松敏生『SEA BREEZE 2016』インタビュー

2016/03/15

──それで、レコーディングはいかがでしたか?

角松意外にいけたんです。以前、2枚目のアルバムをロサンゼルスで録った時は、エンジニアに “英語の発音が悪い”と言われたり、シンガーとしては全然ダメだと思われている空気になっていたことをよく覚えています。しかし、それから6〜7年経ってNYでやった時はプロデューサーが割と普通に作業してくれまして。それでちょっと自信がついたんです。その次のREASONS FOR THOUSAND LOVERS』では海外プロデューサーと自分が手掛けたものをミックスしたのですが、徐々にダブルボイスをやめていましたしね。さらに、オリジナルとしては11枚目になるALL IS VANITYの時には歌の複雑なハーモナイジングだとかやり始めたんです。過去の経験を糧にバックコーラスも自分でやるなどチャレンジもしました。あとは海外のコーラスの人たちをどうやってコントロールするか。そのボーカルプロダクションに関して、やってみようって思ったのがALL IS VANITYでした。今思えばやり直したいところもあるんですけど、あの作品に関してはもう自分自身では歌の扉が開いた作品だと位置付けています。“僕は歌手です” とようやく言えるようになったのが10年目ですよ。

──たしかに当時『ALL IS VANITY』はご自身のベストだといろいろなメディアでおっしゃっていましたよね。

角松:『ALL IS VANITYを担当したのが、ウンベルト・ガティーカというグラミーを受賞したエンジニアでした。彼はTOTOなども手掛けていて。正直、とっつきにくいというか少し変なおじさんで、最初は小馬鹿にしているような感じでした。でも、ミックスの時に聴きに行ったら “おい、これはお前が歌ってるのか?” って聞かれて “イエス” って答えたら、“ You good singer! ”って言ってくれて。もうそれはとても嬉しかったです。そこから歌の分量が増えていって、コーラスワークとかも楽しくなりました。ただ、すぐ凍結で辞めちゃうんですけど(笑)。

──凍結中(活動停止中)もプロデュースした作品でコーラスワークをたくさんされていましたよね?

角松凍結するって決めた時に2枚組のベスト盤『1981-1987』を出していますが、その中にリメイクをたくさん入れているんです。本作収録曲である「YOKOHAMA Twilight Time」もその時実は一回やっています。そのベスト盤を今でも聴くんですけど、歌うことが楽しくて仕方ないというのがひしひしと伝わってきます。つまり、ちょうど10年経つまで試行錯誤を繰り返していたのが、現場を積み重ねているうちに自然に会得したということなんです。

──では、現在のボーカルスタイルになったのはやはり凍結期間中なのですか?

角松その頃、色々なアーティストのプロデュースをやらせてもらい、コーラスもバシバシ入れてました。女性シンガーの楽曲を手掛けた時には、歌のニュアンスとかメロディラインのことを伝えるために仮歌も全部自分で2キー(男テイクと女テイク)作っていました。それで僕が歌ったものを聴いてもらって歌ってもらうという方法をよくやっていましたね。なので、実は「角松バージョン」の楽曲というものが存在するんです。それはavexさんに聞けばあるかもしれないですね。

──楽曲の仮歌を歌うことがポイントだったんですね。

角松:えぇ、僕の歌ったものが外に出ないということはわかっていたから、なんか楽しいわけですね。例えるなら、打ちっ放しのゴルフをやっているような気分で(笑)。そこがまた、知らず知らずのうちに稽古になっていたわけです。もちろん凍結している時なので、「角松敏生」という看板は背負っていないわけで、歌を歌うことに重点を置いて楽しんでいたんです。そういったものの集積が「WAになっておどろう」だったり、解凍宣言後に出したアルバム『TIME TUNNEL』に繋がっているわけです。そこから現在まで声の質やボーカルスタイルはブレていないですから。

いかにブラッシュアップするのかということを掲げて細かな作業をしました。

──続いてリミックスに関してお聞きしますが、エンジニアはどなただったのですか?

角松今回は35年ぶりに内沼映二さんにやっていただきました。僕の多くの作品を一緒にやってますが、『SEA BREEZE』を実際に手掛けた方にやっていただいたわけです。これは記念すべきことなんです。ただ、内沼さんも面白かったのがオリジナルと色々イメージが違うんですよ。“何でこうしたの?” って聞いたら “いや〜なんか恥ずかしいからさ” って。エンジニアさんにもそういうことがあるんだなと。

──では今回直せるとういことで、内沼さんも喜ばれてまいしたか?

角松喜ぶというよりも、僕が内沼さんに伝えたのは “最初の内沼さんのミックスで良いですよ” ってことです。リメイクするって決まった時、足したりだとかループをひいたりとかやってみようと思ったんですけど、やはり記念すべき作品ですから聴こえてくる音が、楽器の音一つ一つをとっても歌の一部になっているんです。例えばシュガーベイブ「SONGS -40th Anniversary Ultimate Edition-」を聴くと、当時の空気感を壊さないで忠実に再現されていました。でも、達郎さんもリミックス作品を出していますけど、意味合いが違うのは16chマルチってことなんです。

──当時はまだ24chのレコーダーがなかった時代ですよね。

角松チャンネルがまとまっちゃっている場合ですよね。例えばドラムは1つになっていて、キックとスネアを別にできないんです。まぁ当然なんですけど。そうなると基本的に当時の空気感を壊さずにグレードアップさせるというやり方しかないですからね。けれど僕もミックスしていくうちに当時の空気感を損ねたくないなと思い始めまして。なぜならば、そうやって聴いてきたものだから。たとえば、“あれベースが聴こえない” って思ったらそれが歌の一部になってたんだなって、そこで気付くんですね。だからこのストラクチャーじゃなくて、オリジナルのようなミックスをして下さいって内沼さんに言い始めちゃったんです。基本的なディティールは当時のそのままに、なおかつ、それをどうブラッシュアップするのかということを掲げて細かな作業をしました。

──では今回は、新規で音をかぶせたりはしていないのですか?

角松:パーカッションやループをほんの少し足しています。ただ当時はシンクもクリックもない時代ですから合わせるのが大変だったんです。当時はドンカマチックという「カチカチ」と鳴るリズムボックスを聴きながら始まるんですけど、あとは聴いちゃいないんで、どんどんズレていくんです。だからクリック作るの大変でしたよ。一拍ずつテンポデータ打ち込んで行かないとクリックが作れないという。なんとかコンガやシェイカーを少し足すことはできました。

──DAWやってる人ならわかると思いますが、大変な作業ですよね。

角松僕、ループは「Stylus」を使っているんですけど、あれはクリックが揺れたらそれに追従して揺れてくれるので、そういうソフトを使って強化をしたり。あるいは2曲目の「Elena」ではちょこっとピアノを入れてみて、知っているスタッフが聴いたら大笑いするだろうなといういたずらもしてみたり。あとはシンセに生のサンプリングの音を少しだけ重ねてみたりとか、生のキックに対してサンプリングのバスドラを少し足しています。これによって当時出せなかった低音のエッジや重みというのを表現しています。
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『SEA BREEZE 2016』

2016年3月16日発売
【初回生産限定盤/CD2枚組】
品番:BVCL-707/8 ¥3,700(税抜)
【通常盤/DISC1のみ】
品番:BVCL-709 ¥2,800(税抜)


DISC1
01. Dancing Shower
02. Elena
03. Summer Babe
04. Surf Break
05. YOKOHAMA Twilight Time
06. City Nights
07. Still I'm In Love With You
08. Wave
Bonus Track
09. Last Summer Station


DISC2
01. Dancing Shower
02. Elena
03. Summer Babe
04. Surf Break
05. YOKOHAMA Twilight Time
06. City Nights
07. Still I'm In Love With You
08. Wave

ライブ情報
「TOSHIKI KADOMATSU
35th Anniversary Live ~逢えて良かった~」

2016年7月2日(土)
横浜アリーナ
開場15:00/開演16:00 座席全席指定
※一般発売日2016年4月10日(日)

角松敏生(カドマツトシキ)

1960年 東京都出身

1981年6月、シングル・アルバム同時リリースでデビュー。以後、彼の生み出す心地よいサウンドは多くの人々の共感を呼び、時代や世代を越えて支持されるシンガーとしての道を歩き始める。また、他アーティストのプロデュースをいち早く手掛け始め、特に1983年リリースの 杏里「悲しみがとまらない」、1988年リリースの 中山美穂 「You're My Only Shinin' Star」はどちらも角松敏生プロデュース作品としてチャート第1位を記録、今だスタンダードとして歌い継がれている。

1993年までコンスタントに新作をリリース、いずれの作品もチャートの上位を占める。年間で最高100本近いコンサート・ツアーを敢行、同時に杏里、中山美穂、らのプロデュース作も上位に送り込んだ角松だったが、当時の音楽シーンへの疑問などに行き詰まった彼は、この年の1月27日、日本武道館でのライヴを最後に自らのアーティスト活動を『凍結』してしまう。しかしこの“凍結期間”は、逆に「プロデュース活動」をさらに多忙にさせるといった結果となり依頼が殺到し、プロデューサーとしての手腕を存分に発揮した。また、1997年にNHK“みんなのうた”としてリリースされたAGHARTA(アガルタ :角松敏生が結成した謎の覆面バンド )のシングル「 ILE AIYE(イレアイエ)~WAになっておどろう」は社会現象ともいえる反響を集め大ヒット。1998年2月の<1998 長野冬季オリンピック>閉会式では自らAGHARTA のメインヴォーカルとしてその大舞台に立ち、今や国民的唱歌「WAになっておどろう」が披露され、この映像は全世界に向けて映し出された。

『凍結』から約5年、角松敏生は遂に自身の活動を『解凍』することを宣言。1998年5月18日、活動を休止した同じ日本武道館のステージに再びその姿を現した。その「He is Back」コンサートのチケットは発売直後にソールド・アウトとなる。翌年リリースしたアルバム『TIME TUNNEL』はチャート初登場第3位を記録し、変わらぬ支持の大きさを実証してみせた。

その後2作連続TOP10入りを果たしたシングル「君のためにできること」、「Startin‘/月のように星のように」、沖縄・アイヌと音楽の旅を続けた『INCARNATIO』、再びスティーヴ・ガッドを起用した角松サウンドの集大成アルバム『Prayer』、大人の遊び心に溢れた『Summer 4 Rhythm』『Citylights Dandy』など、作品ごとに新しいコンセプトで挑むアルバムやライヴDVDなど、コンスタントにリリースを重ねている。またリリースに平行して、20周年、25周年、30周年のアリーナクラスの記念ライヴや全都道府県ツアー、大型ホールからライヴハウスまで、様々な形態で精力的にコンサートを行い、 2012年春、30周年を記念したリメイク・ベストアルバム「REBIRTH 1」をリリース。 2014年3月角松の幅広い音楽性が1曲に組み込まれた「プログレッシブ・ポップ」アルバム「THE MOMENT」が話題となった。
その妥協を許さないスタンスとクオリティで常に音楽シーンの最前線で活動をしている。

また2002年と2005年には映画音楽を手がけ、また自身が役者として芝居の殿堂でもある下北沢・本多劇場のステージに主役として立つとともに音楽、映像監督を同時に務めるなど、新たなチャレンジも行なっている。

2016年デビュー35周年を迎える中、制作、ライブとますます精力的に活動を続けている。

 

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