あのビートたけし「浅草キッド」はカセットMTRから生まれた!
多重録音の歴史と共に歩んだミュージシャン「グレート義太夫」インタビュー
多重録音の歴史と共に歩んだミュージシャン「グレート義太夫」インタビュー
2017/10/06
──ピンポン録音とかもやられてたんですか。
やりましたね。ベースがだんだん遠くになっていくっていう。
──その辺の多重録音の知識は、使いながら覚えていったんですか。
足立区バンドの南さんに教えてもらったり、当時はネットとかも無かったですから、楽器屋さんでマニュアル頼んだ覚えがありますね。
──(ティアック加茂)もうちょっと後のカセットMTR製品は、販促用でビデオをおまけで付けたりしてたんですよ。そういうのを楽器屋さんで付けて販売してましたね。
──でそのあとこの"244"ですね。
たけしさんの曲はこれで何曲か作りましたよね。曲が出来たらたけしさんの所へ持って行くって感じでしたね。
で、3日ぐらいしてたけしさんから「おい、良い曲出来たから来い!」って言われて、鼻歌聴かされるんですけど、どう考えても3日前に渡した曲なんですよ(笑)。でも言えないじゃないですか。言えないから「いい曲ですねぇ!」って。それが曲になってアルバムに入りましたけど。
──じゃあ、当時はすべてマイクで?
はい録ってましたね。
──まだドンカマみたいなものは無かったでしたっけ。
ドラムはどうしてたのかなぁ。スタジオには入ってなかったし。あぁ、一番最初に手に入れたドラムマシンはローランドのTR-606でした。
──エフェクト処理とかはされてたんですか。
いえ、そのまま録ってました。それで、TV番組のスーパージョッキーのコーナーで、いろいろな珍しい商品を紹介するコーナーがあったんですけど、そこに名前は忘れましたけど、エフェクターが紹介されたんですよ。ボイスチェンジジャーで遊ぶみたいな。で僕的にはめちゃくちゃ欲しいんですよ。ボーカルにリバーブかけたりとかできるし。で、収録終わった後に何気なく「これ良いですね」って言ったら「あっ、持ってって下さい」って言われて。
それで初めてですよ。"244"にセンドリターンで繋ぐわけですよ。ボーカルにリバーブかかっただけで鳥肌立ちましたからね。そうやってちょっとづつ機材のグレードが上がってくわけです。
いわゆる多重録音はご自宅の宅録のみで使われていたんですか。例えばスタジオでバンドのレコーディングとかには?
それは無かったですね。その後、お芝居の音楽、まぁ自分の劇団だったんですけどそこで初めて音楽ソフトを使い始めました。カモンミュージックっていう日本の会社のソフト。
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