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多重録音の歴史と共に歩んだミュージシャン「グレート義太夫」インタビュー
多重録音の歴史と共に歩んだミュージシャン「グレート義太夫」インタビュー
2017/10/06
まだWindowsもなくてMS-DOSですよね。PC-98で。でもまだ、録音(オーディオ)とMIDIは別々でしたよね。で、初めて買ったシンセがYAMAHAのEOSでしたね。
──そしたらもう8トラックぐらいの曲は作れましたよね。
でもまだ"244"がメインでしたね。結局ボーカル録りとなるとレコーダーが必要でしたから。
──(ティアック加茂)バックトラックがドンドン充実していく時代でしたよね。
──そうすると義太夫さんは本当に宅録の歴史をまんま行かれてたんですね。しかも当時最先端の。
いやいや、本当に"244"には長いことお世話になりました。
──そうやって、たけしさんのバックに入られて、今度は楽曲提供もされ始めますよね。
そうですね。いろんな方に曲提供して歌手生命に止めを刺してしまいました(大爆笑)。
──それはもう仕事として作曲依頼が来てたわけですか。
そうです。ふみえ(細川)ちゃんの前はだれだっけ。
──日高のり子さんとか。
日高のり子さんは歌手生命大丈夫でした。
──あと、エースコック、スーパーカップのCMソング?
これは、宮沢りえちゃんとたけしさんが歌ったやつですけど。これはすごいですね。未だに「あの曲いいね」って言われますね。
──アレンジも含めて義太夫さんだったんですか。
そうですね。あっ、いや、作詞はたけしさんでしたね。たけしさんに「昔のフォークソング」みたいなのが良いなって言われて作ったんですけど、歌入れに宮沢りえちゃん来たんですよ。家に。
──(ティアック加茂)部屋に!
そうですよ。家で録ったんですから。"244"に。
──宮沢さん凄かった時ですよね。
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